2018.12.27
1998年11月18日の京急線羽田空港駅開業に伴うダイヤ改正で登場したエアポート快特。本稿は、そのエアポート快特の20周年を記念し、同列車のこれまでの歩みを簡単にまとめてみたものである。その2では、2002年10月ダイヤ改正から2010年5月ダイヤ改正までを取り扱う。(その1はこちら)
注:以下、本稿では飛行機マークを(飛)と表記している。
日本初の空港間直通特急として鳴り物入りで登場した(飛)快特だったが、2002年10月ダイヤ改正にて京成側で運行系統が整理されることになり、大きな変化が訪れた。(飛)快特は京成線内を同改正で新設された快速・(飛)快速として走るものとされ、主に成田発着となったことから、空港間を直通する列車でも速達列車でもなくなった。空港間直通特急という看板は、わずか4年で下ろされることになってしまった。
他方、原則として日中時間帯のみの運転だった(飛)快特が、早朝や夜に登場し出したのもこの時期であった。元来の設定意図である空港間直通特急としての(飛)快特は、2010年7月の成田スカイアクセス線開業まで停滞することとなったが、それ以外のところで拡充が図られるとともに、(飛)快特の役割が多様化していった。
2002年10月12日ダイヤ改正
2002年10月12日ダイヤ改正は、京成線で種別の新設や運行パターンの変更を伴う大改正であった。日中時間帯における京成線からの羽田空港直通列車は、このダイヤ改正で新設した快速・(飛)快速が担うこととし、主に成田発着になった。運行系統は羽田空港〜成田というたいへんシンプルなものになり、都営浅草線・京急線内の(飛)快特もこの中に組み込まれた。快速は京成津田沼以東で各駅停車となるため、前述のとおりこの時点で(飛)快特は空港間直通特急ではなくなった。
(飛)快特が京成線内で特急として走らなくなった理由は特に明らかにされていないが、もとより日中時間帯の本線特急は上野方面への流動が大きいことや、(飛)快特を京成線内で特急として走らせるために発生していためちゃくちゃな運用を嫌った・・・など、複合的な理由があったものと推察される。
そんな中、京急側に対する配慮なのか、もとより空港間直通特急として運転されていた1日4本の(飛)快特成田空港行は、成田行とはならずに成田空港行のままで残されたのが面白かった。これらももちろん京成線内では快速列車となり、何なら佐倉で後続の特急成田空港行に追い抜かれていたのだが、これら4本の列車があることにより京急側の時刻表上で(飛)快特成田空港行は消滅していないという、アリバイ作りのためとしか思えなかった。それどころか、従来は高砂・青砥止だった(飛)快特も成田行となったため、京急線内だけで見れば(飛)快特は実態とは逆に大躍進を遂げたことになってしまっていた。
2004年10月30日ダイヤ改正
2004年10月ダイヤ改正も(飛)快特にとって大きなダイヤ改正であった。平日夜間に京成線方面行の(飛)快特が6本設定され、初めて日中時間帯以外に都営浅草線内で通過運転を行なう列車が設定された。
ところがこの6本の(飛)快特、どうも様子がおかしい。京急線内の種別は急行だし、列車の行先も成田空港行が1本と芝山千代田行が2本、成田行が3本という具合で、日中時間帯の(飛)快特とは明らかに異質なものであった。
この6本の(飛)快特は、平日夜間の帰宅時間帯における都心から京成線方面への速達化を図ったものであった。押上から京成線内特急あるいは通勤特急として運転され、都営浅草線内の(飛)快特運転と合わせて、日本橋→勝田台で最速45分となることがこのダイヤ改正におけるアピールポイントのひとつとなっていた。もとより(飛)快特はその名称が示すとおり空港アクセスを強く意識した種別だったが、これらの列車は(飛)快特の都営浅草線内で通過運転を行なうという部分のみを活用した格好となっており、空港アクセスとはあまり関係のない(飛)快特だった。
このほか、早朝5時台に宗吾参道始発で都営浅草線・京急線内(飛)快特となる列車も新設され、早朝時間帯における京成線方面からの都心・羽田空港アクセスの充実化が図られた。
2006年12月2日ダイヤ改正
京成本線末端部の輸送力調整に伴い、日中時間帯における(飛)快特は成田空港行として残存していた4本を含めて基本的に佐倉発着に短縮された。四直史上でも類を見ない珍幕「成田空港方面佐倉」という表示が登場したのもこの時であった。
土休日の朝に(飛)快特成田空港行(769Kレ、京急線内急行)が1本新設された。この列車の特徴は、京成線内を快特として運転していたことだった。2002年10月ダイヤ改正以降の(飛)快特は羽田空港アクセスのための列車という趣きが強かったが、久々に成田空港アクセスのための(飛)快特が登場したのであった。
2010年5月16日ダイヤ改正
2010年5月ダイヤ改正は、京急蒲田駅付近の上り線高架化に伴う京急側のダイヤ大改正であった。このダイヤ改正で京急蒲田が(飛)快特の停車駅から外され、(飛)快特は品川〜羽田空港間で無停車という、より一層羽田空港アクセスに特化した種別になった。元来、京急線の(飛)快特は都営浅草線内で(飛)快特運転を行なう列車が従属的に(飛)快特とされていた部分が強かったが、京急蒲田を通過するようになったことで飛行機マークのない快特とは完全に別物の独立した種別になった。
(飛)快特が京急蒲田を通過するようになったことから、京急では羽田空港を発着する快特の(飛)快特化を実施。(飛)快特が大増発され、京急線内では20分間隔で(飛)快特が走ることになった。ただし、都営浅草線内の(飛)快特は従来通り40分間隔での運転だったため、都営浅草線内で(飛)快特にならない(飛)快特も大量発生。社局境界駅での種別変更のパターンがいままで以上に複雑化することにもなった。
- ツイート
- #
- 東京都交通局
- タグはありません
関連記事
エアポート快特の20年 3 - 空港間直通特急の復活とさらなる飛躍
1998年11月18日の京急線羽田空港駅開業に伴うダイヤ改正で登場したエアポート快特。本稿は、そのエアポート快特の20周年を記念し、同列車のこれまでの歩みを簡単にまとめてみたものである。その3で...
エアポート快特の20年 1 - 日本初の空港間直通特急の誕生
1998年11月18日の京急線羽田空港駅開業に伴うダイヤ改正は、都営浅草線をはじめとするいわゆる四直にとってとても大きなものであった。その核となるのは、何と言っても羽田空港ならびに成田空港に直結...
さようなら 京成線の飛行機マーク その2
飛行機マークの追悼その2は、車両の方面から飛行機マーク付き種別を見てみよう。京成線内を飛行機マーク付き種別で走った車両をまとめてみる。京成車 「(飛)特急」については、羽田空港発着の列車のほか...
さようなら 京成線の飛行機マーク
改めて、京成線から消滅した飛行機マークを追悼する。京急線羽田空港駅開業に伴う1998年11月のダイヤ改正は、浅草線界隈にとってとても大きな出来事だった。現在も京急と都営で使用されている飛行機...
606編成「羽田-成田直結10周年記念号」
羽田空港~成田空港間の直結を記念して「直結10周年」のヘッドマークが掲出されているが、京急の宣伝部長殿・・・もとい606編成にはラッピングもなされて...
おすすめの記事
2024.07.20
四直珍列車研究 134 - 平日 1681K
京成車の特急泉岳寺行が登場。平日1681Kレは、京成車で運転される特急泉岳寺行である。2023年11月ダイヤ改正で登場した列車となっている。京成車の泉岳寺行は都営浅草線西馬込始発のものは数多く...
2024.07.15
京急1000形 「京急夏詣号」運転(2024年)
空とあなたと夏詣。京急電鉄では、6月末より「京急夏詣キャンペーン2024」の実施に合わせて、「京急夏詣号」の運転を行っている。「夏詣」キャンペーンは同社が2019年度より毎年実施しているもので...
2024.07.10
都営浅草線 自動放送どうするの問題を考える
都営浅草線の自動放送どうするの問題を考える。列車内における案内として重要なアナウンス。アナウンスでは列車の種別行先や次駅の案内が行われるが、昨今では自動放送が主流となっており、車掌が自らの肉声で...
2024.07.04
船橋新京成バス2741号車 「ふなっしー号」
「ふなっしー」なバスが走る。船橋新京成バス2741号車が特別仕様「ふなっしー号」として走ってる。「ふなっしー」といえば千葉県船橋市を中心に暴れている同市で人気の非公認キャラクターだが、2023年...
2024.06.30
北総車の京急線内特急運転が復活
約19年ぶりに復活した北総車の京急線内特急運転を見る。京急線に大きな変化をもたらした2022年11月ダイヤ改正。京急自ら「23年ぶりの大改正」としたこのダイヤ改正では、特に日中時間帯の運行...